日本初!世界初!を創り出せ!誰もやらないことをリロがやる!

創業者列伝 未開マーケットを切り開いた男たち 唯一無二の挑戦 操業ヒストリー

創業期 マイナスからのスタート、その先に見えた光…創業期 マイナスからのスタート、その先に見えた光…

マイナスからの会社経営

リログループのファウンダー(創業者)、佐々田正徳が会社経営に乗り出したのは、1978年(昭和53年)6月のこと。高度経済成長期の1967年(昭和42年)に父親が設立した小さな工務店を再建するためだった。 リログループの前身であるこの工務店は、設立10年目に起きたオイルショックで大打撃を受け、重ねて父親が大病を患い突然の他界。一気に経営難に陥ってしまう。残ったのは8,000万円(現在の価値にして約4億円)の借金のみ。「これ以上にないマイナス・スタート」だったが、佐々田は絶体絶命のピンチをエネルギーに変え、会社再建を決意する。

絶対にあきらめない熱意

たった一人でのリスタート、あるのは多額の借金のみ。そんな崖っぷちを救ったのは一つのアイデアだった。 
「そうだ、以前お世話になっていた大手商社の指定業者になろう!」。それから毎日、大手商社の総務人事部に通い詰めた佐々田は、部門ナンバー2のA氏との面談にこぎつける。
そこにあるのは熱意だけだったが、その気迫を読み取ったA氏は佐々田にチャンスを与えることを約束してくれた。「君をテストしてあげるから頑張りなさい」。

企業の「困った」を事業アイデアに

そして転機は翌年訪れた。総務人事部の改革案を次々と提案書にして持参していた佐々田は、大手商社に多い海外転勤者に着目し、海外赴任期間中の日本に残していくマイホームの管理サービスを考え付く。当時日本企業の海外進出が活発化し、この会社だけでも毎年750名近くの従業員が海外赴任をしていた。
しかしマイホームブームの中で購入した持ち家は、従業員が数年留守にすることによってボロボロに傷んでしまうという悩みが浮上していたのだ。
佐々田の提案は「家」という大きな財産のトラブルに困っていた従業員と、こうした従業員への生活サポートを充実させたいと考えていた会社側の考えが合致し、「海外転勤者の留守宅管理サービス」の受注に実を結んだのだ。これにより目標だった大手商社の指定業者となり、同時に社会的信用を得ることにも成功した。

借金地獄からの脱出

仕事と信用を得た佐々田は銀行から融資も得られ、会社倒産の危機からも脱出。その後、佐々田は、東京に進出したばかりの大手宅配便業者にも着目。急ピッチで東京での地盤作りに勢いづいていた宅配便業者のトラックターミナルや営業所の新設工事を受注すべく、大手宅配便業者の東京本社に‘夜討ち朝駆け’で訪問を行った。
最初は散々であったものの、何度も足を運ぶうちに大手宅配便業者内でも佐々田の存在は目に留まるようになり、最終的に佐々田の「熱意」は先方の社長の心を動かすことになった。わずか一晩で操車場のアスファルト工事を行うなど誰もが無理だと思う仕事も、佐々田は嫌な顔一つせず、「どうすればそれが実現できるか」を考え、行動し、顧客の要望を一つ一つ確実にこなしていった。1年365日、1年間で休んだのは年末年始のわずか数日。1日15時間以上働くがむしゃらさで借金返済に成功。それは会社を引き継ぎ4年が経過した1982年のことだった。

天の啓示
〜リロケーションサービスとの出会い〜

運命的な出会いがあったのはそれから間もなくのことだった。「日経ビジネス」に掲載されていた小さな記事。それは「従業員の転勤に伴う雑事一切を引き受ける『リロケーションサービス』が米国で急成長しており注目を集めている」「転勤命令を受けたサラリーマンを対象に住宅の売却、賃貸管理、リフォーム、引越、車や家具のリースなど、一切を代行して、後顧の憂いなく、赴任して貰うためのサービス業が4億ドルのビジネスになっている」というものだった。
佐々田はこの記事に出会った時、「これだ!!」と思った。すでに大手商社で日本版リロケーションサービスにあたるシステムを実践していた佐々田は、日本での本格的な『日本版リロケーションサービスの事業化』を決意する。
「これは運命だ。先駆者として日本のリロケーションサービスの事業化を私がやろう!」。このビジネス雑誌の特集記事との出会いが現在のリログループ誕生のきっかけとなった。しかし、そこに待ち受けていたのは幾多の困難。佐々田はこの待ち受ける困難にも屈することなく、『日本版リロケーションサービス』の事業化に果敢に挑んでいくのであった・・・。