リロの挑戦

成し遂げろ!!『世界規模で展開する生活総合支援サービス産業』の創出

日本発(初)のグローバル・リロケーション・カンパニー

「日本人ビジネスパーソンの海外赴任にまつわる様々な悩みや不便を解決したい!」そんな思いで1989年6月にニューヨークでスタートした『サービスアパートメント事業』。当時、海外の赴任先で家探しを行う数ヶ月の間、狭くて高いホテル暮らしを強いられていた日本のビジネスパーソンを何とかサポート出来ないか、顧客の声を活かして海外で初めて『日本人ビジネスパーソン向けのサービスアパートメント』を開始したのは、リロケーション事業のパイオニアであるリログループだった。

これをきっかけに北米7拠点にサポートを拡大、2009年には上海にも進出。今後バンコク、シンガポール、ホーチミン、北京、広州、ジャカルタ等のアジア圏やロンドン、デュッセルドルフ等のヨーロッパ圏に拠点を充実させ、世界中をカバーする日本発(初)のグローバル・リロケーション・カンパニーを目指しています。

不可欠な生活インフラを構築する先駆者として

慣れない海外生活にはどんな苦労があると思いますか? 住環境・住設備のトラブルや交渉事、学校や病院探し、チケット類の手配、家庭に独りこもりがちな奥様の生活スタイル…。私たちはこうした海外生活の細部にまで目を向け、赴任者が必要とする支援、つまりサービスの開発から提供までを自社オリジナルで構築してきました。「最初はニッチなサービスだったものが浸透し、次第に人々の必要不可欠な生活インフラになっていく」。先駆者として“あったらいいな”の声=ニーズをキャッチし、今まで無かったサービスを創出し実現してきたのです。

感動を与えるサービスの提供

リログループの企業理念の一つに「感動を与えるサービスの提供」という言葉があります。お客様に期待通りのサービスをするのはむしろあたり前の話。リログループは人々の生活を支援するサービサーとして、お客様が期待する以上のサービスを提供することで人々に「感動」を与えられるサービス集団でありたいと考えています。こうした理念のもと私たちは、お客様に更に喜んで頂けるサービスの開発にも余念がありません。例えば海外赴任サービスでサポートさせて頂いたお客様。その方の還暦バースデーに、過去、赴任されていた場所の現在の様子をレポートした資料を添えた手紙をお届けします。

「あぁ、懐かしいなぁ。もう一度行ってみたいなぁ」。もしご本人が“思い出めぐりのご旅行”を希望された場合、サービスアパートメントを全世界に展開する私たちは、お客様がカバン一つで気軽に旅行できるようあらゆる手を尽くし、現地でお迎えすることができます。これをきっかけに世界一周旅行となれば素敵ですし、もしお手紙のやりとりのみで終わったとしても、リログループからの心、そしてサプライズをお届けすることができます。

私たちは、これからお付き合いが始まる企業様や従業員様のみを見据えるのではなく、これまでリログループと何らかの形で関わったお客様に生涯にわたるサービスを提供したいと考えています。そのためにも日頃からリログループ全社がお客様に感動を与えるサービスの提供を行い、人々の豊かな生活実現をサポートする新たな生活支援サービスを提供し、まずは世界戦略の根底にある「日本発(初)のグローバル・リロケーション・カンパニー」を目指して邁進してゆきたいと考えています。

世界規模で展開する生活総合支援サービス産業の創出

リログループのビジョンは「世界規模で展開する生活総合支援サービス産業の創出」です。2009年11月、上海進出でビジョン実現に向けた新たな一歩を踏み出し始めたリログループ。まだ、その挑戦はほんの序章にすぎません。リロケーションサービスをきっかけに世界をマーケットとした挑戦を始めたリログループの生活支援サービスは、今後世界戦略の拡大のなかで、最終的にはリログループの担う全ての事業が提供するサービスを世界中で普及させていきたいと考えています。その未来への道を切り拓く意味でも重要な上海進出。ビジョン実現に向けた挑戦は今後更に加速してゆく…。

世界戦略の基盤作りを担うパートナーの挑戦

主席駐在員・永井一幸の挑戦

たったひとりのスタート

2009年8月。真夏の中国・上海に永井はたった一人で降り立った。学生の頃から「世界を舞台に仕事をしてみたい」という想いはあったが、社会人4年目で早くもそのチャンスが訪れるとは思ってもいなかった。
しかも、すでに出来上がっている事務所に合流するのではなく、これからたった一人でオフィスを立ち上げ、営業活動を行い、事業を軌道に乗せていくのだ。会社からの期待、仲間たちの応援、未知のフィールドに挑む緊張感とワクワク感…。様々な感情が混じり合う中、永井は世界への一歩を踏み出した。

「全世界に展開できるビジネスモデルを作ってこい」。

これが主席駐在員として全権を委ねられた永井のミッションだった。オフィス探しや現地スタッフ採用などオープニングの準備はもちろんだが、マーケティングや顧客開拓、またニーズに合致した商品開発やそのサービス手法までもすべて一任された。「やり方はお前の自由だよ、と社長に言われましたし、本当にお目付け役の一人もいませんでした」。現場主義が徹底している会社だとは承知していたが、当時26歳の若手社員にここまで任せる太っ腹なトップの判断に、日頃から怖いもの知らずの強心臓で有名だった永井でさえも驚いたという。

海外への想い

永井がリログループに入社したのは2006年のこと。海外赴任者に対する住居や生活のサポートを行う事業部に配属となり、法人営業として2年間東京に勤務。その翌年、新規支店の立ち上げに伴いスタートアップメンバーとして大阪に赴いた。既成商品を売るのではなく、顧客のニーズを元に商品をカスタマイズしサービス企画を行い顧客企業の課題に対するコンサルティング提案を行う営業の面白さにのめり込んでいった。そして顧客であるビジネスパーソンを海外に送り出す支援業務に携わった次は「海外の現地で顧客を受け入れるサービスをやってみたい」と思うようになっていた。

「そんな時、真っ先に注目したのが上海でした」。以前は、ニューヨークやロンドン支店長を経験した銀行マンが頭取になる、という出世コースが一般的だったが、近年では上海での経験が要職に就く条件に加わってきているのだという。
可能性あふれる市場、成長著しいビジネス激戦地上海。永井はこの地で赴任者向けサービスを創ることが自身のキャリアになると確信し、同時にリログループの価値や存在感を高め、さらに世界的企業へ大きく飛躍させる一歩に繋がると考えた。リベンジの時を模索していた会社、そして現地勤務の夢と野望を抱く社員。この「想い」の合致によって上海進出が実現することになった。

ニーズを探る営業活動

日系企業が5千数百社あるとされる上海で永井がまず行ったのは、企業に出向いて「日常困っていること」を聞き出す営業だ。“事業はニーズなり”であり、事業のヒントは生のお客様の声にある。活動を始めてみると、上海を拠点とする日本人駐在員が作る“日本人会”のネットワークによって多くのビジネスパーソンと知り合うことができた。その殆どが年上で父親と同世代の方も少なくない。オフィスを訪ねるだけでなく夕食を共にし、様々な会話を交わすことによってビジネスアイデアを探ると同時に、永井という人間を信頼してもらい取引へと発展させる活動を広げていった。

「赴任に同行した配偶者のメンタルが心配」。そして永井は多くが異口同音にする悩みに着目した。夫は仕事、子供たちは学校に行くが、家庭を預かる主婦は家にこもりがちになってしまう。外に出ても気分転換どころか文化や言葉の異なる環境がストレスの素になってしまうというのだ。永井はさっそく駐在員の奥様同士を結び付けるコミュニティーなどを企画。そしてこれを皮切りに、日本人1,000名が暮らすマンションの生活サポートなどを任されていく。

夢を現実にする

「マンション経営者と知り合い、私が考えている事業の夢を語ったのがきっかけです」。サービスメニューもなく、ソリューションを提供するパートナー企業も開拓していなかったが、永井の想いに共感した経営者が「やってくれ」とゴーサインを出したのだ。引っ越し業者、受験教育機関、病院、メンタルヘルス業者…。協力を求めた企業は今までにない仕組みや、永井のビジネス構想の理解に戸惑っていたが、次第に個と企業のニーズを結びつけ悩みや不安を解決するビジネスに興味を示し、パートナー契約を結ぶまでになった。「なぜ今まで気づかなかったのか」。ニッチなサービスが必要不可欠な生活インフラへと変わりゆく瞬間を創ったのである。

上海進出から1年以上が経過した現在、新たにパートナーを採用して3名体制となり、手狭になったオフィスの移転も実現間近となっている。「語学が堪能なわけでもないし、私という人間が人並外れた才能を持っているわけでもない」という永井は、自分が上海立ち上げを任された理由を「熱いパートナー達が集うリロの中でもそれ以上にこの事業に対する熱意と情熱があり、それをTOPに真正面から伝えることが出来たから」という。「舞台を与える経営」というリロの経営方針があるなかで、永井はむしろ舞台を自身の熱意と情熱で勝ち取り、そして、その思いが認められて舞台を与えられたと考えても過言ではないだろう。そして一旦任せると“主席駐在員”のように大きな権限を与えるのがリログループの特徴なのだ。

海外で暮らす分コミュニティーの絆が強い駐在員の間で、永井は目立った存在になっている。それは企業研修、語学留学で赴任するケースが圧倒的多数であり、27歳という若さで会社の代表として赴任する人材はそうはいないからだ。

上海から全土、そしてその先へ

さて、挑戦は始まったばかりだが目線は絶えず1年先3年先を見据えている。「上海で事業モデルを作ったらそれを中国全土へと広げていきます。その先には他のアジア諸国がありますし、またその先にはヨーロッパがあります」。 永井は上海の成功をまず北京、大連、広州、成都などへ広げていく責任者でもある。そうした大きなプレッシャーとどのようにして戦っているのだろうか。その答えは少し意外だった。「ビジネス相手の多くが日本人なので特別に構えることはありません。あとは異文化・国民性の違いの中で暮らしているのだから、多くを許容した上で楽しむことが大事」、なのだという。

また、大阪時代の上司である濱真矢がよき相談相手として存在していることも大きいという。ここだけの話だが、絶対にスタッフや顧客やパートナー企業にはビジネスパーソンとしてのわきまえを持った言動を心掛けている永井も、濱との会話だけはプライベートな相談も含めて自身の全てを打ち明けることが出来る存在なのだという。案外、人を支え、時に震え立たせるものは、身近な味方・協力者の存在なのかもしれない。

決して前のめりにならず、穏やかな口調と自然体で話す永井に、最後に就職活動中の学生に対するメッセージを聞いてみた。「こういうことをやりたいときちんと言葉で伝えること。そうすれば就職活動も苦ではなく、自身の可能性を広げる有意義な旅になる!」。この時だけは永井の体温が少しだけ上がったように感じた。